「なぜか上司の機嫌が悪い」「特に何もしていないはずなのに、当たりが強い」 職場でそんな理不尽さを感じたことはありませんか?
先日、X(旧Twitter)で見かけたこちらのポストが大変興味深く、多くの人が抱える「職場のモヤモヤ」の正体をズバリと言い当てていました。
オジサンの揉め事の原因は「おれに挨拶なかった」が9割
— タイチ (@taichinakaj) June 8, 2012
「9割」という数字は少し誇張かもしれませんが、体験として「挨拶」が引き金になるトラブルは驚くほど多いのが現実です。
若手世代からすれば「そんなことで?」と驚くような話ですが、これは単なるマナーの問題ではなく、「序列」「存在承認」「縄張り意識」といった、人間の深い心理が絡み合った構造的な問題なのです。
1. 挨拶は「自分がどう扱われたか」の確認作業
まず、彼らにとっての挨拶は、単なる言葉のやり取りではありません。それは「自分が相手からどう扱われているか」を確認するためのリトマス試験紙です。
序列と存在の軽視に対する「過敏さ」
特に組織で上の立場(ボス)になった人ほど、無意識のうちに自分の「縄張り」と「序列」を意識します。彼らにとって挨拶は、以下のような高度な政治的メッセージを含んでいます。
- 「あなたは私の存在(および立場)を正しく認識しているか?」
- 「この空間における私の序列を理解しているか?」
挨拶がない、あるいは軽視されると、彼らの脳内では「自分の存在が軽んじられた」「ナメられた」というアラートが鳴り響きます。これが面白い(そして厄介な)のは、本人が「挨拶がなくて怒っている」と自覚せず、「あいつは態度が悪い」「仕事が雑だ」といった別の不満にすり替わってしまう点にあります。
2. 「俺は聞いてない!」の正体もここにある
職場でよく耳にする、「俺は聞いてない!」という年長者の怒り。これも実は挨拶の問題と根っこは同じです。
重要なのは「情報の内容を知っているかどうか」ではありません。 「その情報を、私に真っ先に伝えるべき存在だと認めているか?」という点に彼らはこだわっています。
挨拶も「俺は聞いてない」も、本質的には「俺をその輪の中に、重要な一人として入れておけ」という承認の要求なのです。挨拶をしないということは、その人の「承認の輪」から外側に置くという意思表示として受け取られてしまいます。
1. 「挨拶」は単なるマナーではない
まず理解すべき大前提は、年長者や管理職にとっての挨拶は、単なる「礼儀作法(マナー)」ではないということです。
挨拶=「存在承認」のシグナル
心理学的見地(マズローの欲求5段階説など)から見ると、人間には「承認欲求(Acceptance/Esteem)」があります。 特に組織の中で長く戦ってきた世代にとって、挨拶は以下を確認するための重要な無意識のチェックポイントになっています。
- 自分を認識しているか?(私はここにいると認めているか)
- 序列を理解しているか?(私への敬意はあるか)
- 敵ではないか?(味方としてのシグナル)
挨拶がないとき、彼らの脳内では以下のような変換が自動的に行われます。
- 挨拶がない
- 無視された(存在を軽視された)
- 「自分はないがしろにされている」「ナメられている」
- 不安が「怒り」に変換される
つまり、彼らは「挨拶というマナー違反」に怒っているのではなく、「自分の存在を否定された不安」から防衛本能として不機嫌になっているのです。

2. 世代間ギャップ:なぜ「挨拶しない」が生まれるのか
一方で、挨拶をしない若手・中堅世代に悪気があるケースは稀です。ここには明確な文化のズレと期待値の不一致が存在します。
「空気」を読む世代 vs 「効率」を重視する世代
-
昭和〜平成初期世代(年長者)
- 「意見」よりも「態度」を評価される環境で育った。
- 「正しさ」よりも「感じの良さ」が生存戦略だった。
- 挨拶=唯一の安全確実なコミュニケーション手段として染み付いている。
-
現代の若手・中堅世代
- 業務効率や成果を重視(フラット志向)。
- 「忙しいから」「集中しているから」挨拶を省略する。
- 必要以上の上下関係を意識していない。
このギャップにより、若手が「悪気なく」省いた挨拶が、年長者には「意図的な攻撃(無視)」として着弾してしまうのです。
3. コメント欄から見える「3つの心理構造」
Xのポストに寄せられたコメント欄も、この問題を深掘りする非常に興味深い視点に溢れていました。
① 挨拶 = 存在承認のスイッチ
「挨拶がない = 礼儀の欠如」ではなく、「自分の序列や存在を軽視された」という感覚。長く組織で戦ってきた人にとって、日常の小さな所作(挨拶や返事)は、敬意を測る唯一のセンサーになっています。挨拶抜けは、彼らのプライド領域への「無断侵入」のように感じられるのです。
② 挨拶 = 「関係の保険」としての投資
年賀状や季節の挨拶をマメにする人が重宝されるのは、「中身がなくても関係を維持できる」からです。挨拶は情報伝達ではなく、関係性のメンテナンス。これが効いていると、多少のミスやトラブルも「まあ、あいつならいいか」という「保険」が適用されます。
③ 「先にやらないゲーム」の泥沼
「あいつは挨拶しない」と怒る人に限って、自分からは挨拶しないという指摘もありました。これは「相手が先にやるべき」という責任の外注です。プライドや警戒心が邪魔をして、お互いに「相手がしないから自分もしない」という、関係悪化のループに陥っているのです。
3. 科学が証明する「挨拶」のパワー
挨拶の効用は精神論だけではありません。科学的にもその効果は証明されています。
- オキシトシンの分泌
- 挨拶やアイコンタクトは、「信頼ホルモン」と呼ばれるオキシトシンの分泌を促します。これは安心感や信頼関係を構築する土台となります。
- 心理的安全性
- 挨拶が飛び交う職場は「発言しても大丈夫」という空気が醸成されやすく、チームの生産性が向上します。
挨拶は単なる儀式ではなく、脳の報酬系に働きかける「関係構築ツール」なのです。
4. 戦略としての挨拶:コスパ最強の投資
ここまで読んで「面倒くさいな」と思った方もいるかもしれません。しかし、ビジネスパーソンとしてドライに考えるなら、挨拶ほどコストパフォーマンスの良い投資はありません。
メリットだらけの「挨拶投資」
- コスト: たった1秒、0円。
- リスク: ほぼゼロ。
- リターン:
- 「味方」認定される。
- トラブル時の当たりが弱くなる。
- 困ったときに助けてもらいやすくなる。
実践!揉めないための「挨拶設計」
もし「あの人は挨拶しても返してくれないから…」と躊躇しているなら、考え方を切り替えましょう。 挨拶は「相手との会話」ではなく、「自分のためのメンテナンス作業」です。
- 「先出し」が絶対有利
- 相手が気付くより先に声をかけることで、「私はあなたを尊重しています」というカードを先に切れます。主導権はこちらが握れます。
- 相手の反応は期待しない
- 返事がなくても「送信完了」と思えばOK。あなたの「挨拶した事実」は周囲が見ています。
- 名前を添える
- 「おはようございます」より「〇〇さん、おはようございます」。これだけで承認欲求を満たす効果は何倍にもなります。

4. 結局、どっちが「問題」なのか?
ここで一つの疑問が生まれます。 「挨拶をしない方が悪いのか、挨拶がないくらいで怒るおっさんが問題なのか?」
正直なところ、どちらかを「悪」と決めつけるのは難しい問題です。
- 挨拶をしない側: 「無駄な形式は省きたい」「自分はフラットな関係でいたい」という合理性がある。
- 怒るおっさん側: 「秩序を重んじたい」「長年組織を支えてきた存在として認められたい」という切実な願いがある。
これは善悪の問題ではなく、「価値観の巨大なミスマッチ」です。 しかし、現実として「不機嫌な年長者」が存在し、それが職場の空気を重くしたり、若手の足を引っ張ったりしている以上、実務上は「おっさん側の過敏さ」がボトルネックになりやすいと言えます。
一方で、「挨拶をしないのが正義」と突っぱねて、自分にデメリット(賞与査定への影響や情報の遮断など)が降りかかるなら、それはそれで戦略ミスとも取れます。
5. まとめ
おじさんの不機嫌の正体は、「挨拶という承認シグナル」の欠乏による不安でした。
- 挨拶はマナーではなく、相手の「序列」と「存在」を認める儀式。
- 「俺は聞いてない」という怒りも、同じ根っこ(自分を輪に入れろ)の叫び。
- どっちが正しいかより、「自分はどう扱われたいのか・扱いたいのか」を選択する問題。
明日からは、オジサンたちへの挨拶を「人間関係のトラブルを未然に防ぐセキュリティアップデート」だと思って、爽やかに実行してみませんか?
番外編:それでも「挨拶しない」という選択肢
もちろん、この不条理な構造に抗い、「あえて挨拶をしない」という選択肢も尊重されるべきです。
挨拶をしないことで発生する「不機嫌な人への対処」や「限定的な情報共有」といったコストを、自分自身で引き受ける覚悟があるのなら、それもまた一つの立派な生存戦略です。「知らずに敵を作ってしまう」のではなく、「自分はこういうコストを払ってでも、このスタイルを貫くのだ」という主体的な選択であれば、それは一つの潔い形と言えるでしょう。